こんにちは!先日髪を大幅に切り落として来ました!レディース&ガールズ担当の河端です。

河端)いやぁ暑くてたまらんので短めに!

と頼み。更にどういう風にする?と聞かれ。

スラムダンクのリョーちん風で!とお願いしました。

こんなんにしたい!

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と伝えて、そのまま就寝・・・

終わったよ!の声に目が覚め河端が目にしたものは上の画像ではなく

これでした

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違うよ!!

新日の真壁やん!!

これスイーツレスラー!!!!(彼は甘党)

今はほどよくパーマもとれて良い感じなので真壁にはなりませんが、当日のアレ?って感じは忘れもしません。皆さんもありませんか切ってもらっておいてアレ?って感じ。今回初めて感じました。良い経験です。

さて、今回は私自身の過去についてお話したいと思います。昔話はあんまり好きではありません。自分もそうだったのですが年上の方の「俺の中学のころは・・・」「高校の・・・」があまりピンと来なかったので。

だって今と違うやん?それは違って当然やろ?ってひねくれた考え方しか出来ませんでした。今でもそんな反応してしまう時もありますしね。

しかし、そろそろ知っておいてもらいたいと思うので書きます。いろいろ書くつもりです。良いことばかり語ってしまいがちですが、そうではなくありのまま書きたいと考えています。今の自分が出来上がった経緯にはこういう経験をしているからってことを知って何かの一助になれば幸いです。

ダーっと書くので気になったら直接聞いてください。時には明るく、時には涙目になって語ります。笑

小学生時代

小1からサッカーを親の影響ではじめる。

この時期はあまり記憶に無い。ただやっていた。この表現が一番近いと思う。

サッカー自体はあまり好きだとか考えていなくて、汚れるのが嫌で雨の日はよく休んでました。

初ゴールは右足、左足ではなくケツでゴールにぶち込むという強烈な印象の初ゴール。泣

当時は同学年よりも年上とつるむ方が多かった。

学校の通信簿ではよく一匹狼と書かれていたがそんな事は一切なく単に別の学年のところに混じって遊んでいたからあんまり目立たなかっただけ。

小5くらいの時に試合中にオーバーヘッドキックを試みる。

見事相手チームのDFのお腹にジャストミートし病院送りにしてしまう。自身初のイエローカード。ショックで飯がおかわりできなかった。

給食は人一倍食い当時の担任から「給食費は2人分でもいいくらいです」と言われる。

日焼けしても皮がむけることは無く、皮がペロッとはがれることに憧れを抱く。

黒く日焼けしすぎる。この時から皮膚ガンになることはほぼ確定していたのではないかと思う。

学校の遊具で危険な遊び方のオンパレード。それに付き合う友人で負傷者続出。

学校の遊具が減っていく。

とにかくやる気の上がり下がりが激しく、学校に早く行き過ぎる時と遅刻する時の差が激しい。

早く行き過ぎるときは6時30分くらいに学校についている。一度用務員さんよりも早く学校についてしまい、開いていないので休みと勘違いして帰宅したことがある。

風邪をこじらせ、39度まで熱が上がり「死」を覚悟し、親に感謝の気持ちを込めた遺書を書くことを決意する。

遺書を書いている途中に昼食のうどんを食って昼寝したら治っていたという脅威の回復力。

とにかくサッカーの練習が嫌いで、基礎の練習も適当にこなす。

適当にこなすことも嫌で、当時から入ったばかりの初心者にやり方を教えることで時間をつぶすことを覚える。

しかしそこで初心者が上手くなることが喜びを覚える。ここがターニングポイントだったと思う。

初めて大会で優勝し最優秀選手に選ばれる。ここで火がつく。

その他の学生時代

これまた年上とつるむことが多い。担任から友達がいないのか?と心配される。

試合に出て交代するまでの時間で最短記録を作る。(15秒)おそらく今後破られることは無い。

キックオフ直後に自陣のコーナー付近に蹴り込まれクロスをあげられる。防ごうと飛び込み見事足に当てたが着地失敗してひねる。

交代

痛すぎて交代。現在の山代グラウンド(当時は古中グラウンドと言っていた)の水道で真夏の午前中足を冷やし続ける。

チャリで大聖寺まで帰る。

1週間経っても痛みがひかず病院にいくとくるぶしが割れるという珍しい?骨折だった。全治3ヶ月。

1ヶ月で完治する。

毎年夏休み前ごろに調子を上げて、夏休みに失速することから「ホタル」という儚いあだ名をつけられる。

一時期交代する時に「ホ~タ~ルのひ~かぁり・・・」と応援団から歌われる。

もはや応援ではなくイジメに近い。

交代して退いたベンチを当時は「ホタルの墓」と呼ばれていた。

ジブリのホタルの墓に異常な関心を示す。

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冬の豪雪時に体育館と校舎をつなぐ渡り廊下の屋根に上り、体育館の屋根雪のたまった山にダイブする。

胸まではまり抜けなくなる。

顧問に見つかり、鬼の形相で怒られる。

合宿の時に一発ギャグを披露する機会を設けられ、ケツに電球を挟んで「ホタル!!」と渾身のギャグを披露する。

震え上がるほど滑る。

芸人を目指したことは無いが芸人はなれないことを痛感する。

夏休み中にオランダから臨時コーチを招いてもらって指導してもらい、そこでセンターバックへのコンバートされる。ここもターニングポイント。

初めて一人暮らしをする。

足りないものだらけで、お金だけもらい買い揃えるという機会をもらう。

移動手段は徒歩のみだったので、洗濯機を購入後背負って下宿先まで運ぶというストイックな行動に出る。

お酒を初体験する。酒豪の血を引いていることに感謝する。

お酒にアクエリアスを割るという愚行に走り、記憶を失う。

冬空の雪がちらつく王将の駐車場で一人体操座りしているところで目が覚める。

身体が冷え切っており人生2度目の死を覚悟する。

部員200名以上の超競合率の高いチームで4年間過ごす。

ここでの出会いすべてが今後につながっていく・・・

長すぎるので続きは次回で!

出会いはすべて遅すぎることも早すぎることも無い。出会うべくして出会う。それも必要なタイミングで。

だけどそれは本人がそういうアンテナを常に張っていればすべていい出会いになるが、アンテナがないとただの出会い。気付きの無い出会いになってしまう。

誰かが似たようなこと言っていますが、自分も全くその通りだと思います。振り返れば振り返るほどそうだと感じますね。

真壁になったことも何かの力が働いたんだと思います。

って誰が真壁やねん!!
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